大野貴弘 代表取締役の歴史(1) ~甲子園出場も悔しさ残る高校時代~

大野貴弘 代表取締役の歴史(1) ~甲子園出場も悔しさ残る高校時代~

みなさん、こんにちは!

Noble Actionです。

スタッフ紹介、ついにこの時がやってきました!

記念すべき第1回目は...

 

大野 貴弘(おおの たかひろ)代表取締役です!

 

夢の甲子園を2度経験


1989年3月27日、千葉県市川市で「大野貴弘」という野球人は誕生しました。

元々は父の影響で野球を始め、小・中では投手として経験を積んでいきます。その後、千葉経済附属高校に進学し甲子園を目指します

 

当時、入学したのは2004年。ここでみなさん、当時のことを振り返ってみましょう!2004年といえば東北高校のダルビッシュ有投手や、横浜高校の涌井秀章投手が注目されていた年です。

 

千葉経大付に入学後、ファーストとしてプレーしていた大野選手は1年生からチームは夏の甲子園初出場の切符を掴み取ったのです!その後、夢の舞台へと立ったチームは3回戦でダルビッシュ投手擁する東北高校と対戦し延長戦の末、3-1で勝利しました。

 

チームは準決勝進出の快進撃をみせてこの年の夏は終わりました。そしてその2年後の2006年に再び甲子園の土を踏むことに。

 

ここで再度、当時を振り返りましょう!2006年といえば「佑ちゃんフィーバー」に湧いた年。早稲田実業の斎藤佑樹投手駒大苫小牧高校の田中将大投手が注目された年ですね。

 

千葉経大付は1回戦で大嶺祐太投手擁する八重山商高に6-9で敗れてしまいました。しかしながら大野選手はベンチ入りするも悔しい結果に終わってしまいましたね。それでも2度の甲子園で後にプロ野球やメジャーリーグを経験する投手を間近で見ていたのは当時の選手たちしかできないことですね...スゴイです!!!


部員130名の中で...

 

チームは2度の甲子園と順風満帆な高校野球生活を送っていたかに思われましたが、大野選手には葛藤があったといいます。現在、Noble Actionの代表取締役となった約20年後のご本人は次のように振り返ります。

 

「レギュラーになれなかったのはあるのですが、今振り返ると当時は周囲のことばかり気にしていました。当時から周囲を気にせずにどのように練習すればいいか考えればよかったなと思います。

 

130名という大所帯の中でベンチ入りできたこと、公式戦のユニフォームを着ることができた結果は素晴らしいこと。長身を生かしてファーストをやっていましたが、当時はその身体能力を上手く活かすことができなかったのです。今でこそ、体組成計やラプソードなどの自分の体や能力を知る機材は全国に普及されていますが2000年代前半は情報がとても少なかった時代ともいえますね。

 

こうして高校野球を終えた大野選手。高校卒業後は国士館大学に進学しました。この大学では体育の教員免許を取得できるため、教師となって野球の指導者を目指したのです。果たして、ここではどのような出来事が待っているのでしょうか...?

 

次回へつづく!

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